北房カントリーの歴史・エピソード

北房カントリークラブの誕生秘話

昭和47年列島改造論の時代に土地の買収が始まりました。その当時、この地域は葉タバコの生産が盛んで、ほとんどの農家はタバコ作りで生計を立てておりました。タバコ作りには、落葉樹の葉が有機肥料として重要にあります。その樹木の山・畑を買収するのですから、当時の担当者は大変苦労したようです。当時ゴルフへの地元の理解が得られず訪問しても門前払いで、すごすごと帰らざるを得ないことも度々でした。しかし、ゴルフへの理解・雇用の確保・土地のすばらしさをアピールし
100%買収にこぎつけました。

コース設計・造成

この土地は、石灰岩地帯に位置しております。造成前はいたるところに石灰岩が露出し、100万平方メートルのコースの中に水路が1本もありません。また、土壌はクロボクという火山灰となっており、コースの中にはえん堤はありません。降水はすべて地面に沈んでしまいます。この特徴を生かして、コースの設計がなされました。ドリーネがいたるところに存在し、コースの中に自然の形(芝を張っただけ)で残しております。戦略性を高める要素にもなっているようです。設計者 石見 満寿太氏は自然を出来るだけ残す為、立ち木の残し方には特別注意をされ、何回も現地へ足を運ばれ伐採木の選定をされました。また、石灰岩の残し方やグリーン周りの景観も視野に入れ設計されました。また、購入木も地域内から選定したものを移植しており、地木とのバランスも考慮しております。コースは台地に存在しておりコース内の標高差は20メートル程度と比較的フラットになります。グリーンはアンジュレーションはあまりありません。リゾート感覚のコースの為、グリーンの難易度は比較的易しい設計になっております。しかし、コース内立木が20メートル以上の木がほとんどの為広いようですが、空中は狭く戦略性は高くなっております。
 
造成にあたり、動かした土量は45万立方メートルと少なく、ハウスが建ってる山を25メートル削り、コース内へ配土いたしました。石灰岩のダイナマイトによる撤去作業も実施いたしましたが、石灰岩は亀裂が多く存在する為思うように破砕できなくて苦労いたしました。また、水が溜まらない地域の為、池の造成には、ゴムシートを張って池を確保しております。えん堤は存在しませんので、人工的な構造物は少なくなっています。

平成6年の台風災害

平成6年9月、台風19号により2000本の樹木がなぎ倒された事がありました。全従業員と応援者で100名が1週間掛けて倒木を取り除き、開場いたしました。本当に情けなく、キャディもレストランの従業員も朝早くから日が暮れる寸前まで必死に作業いたしました。開場にこぎつけて、従業員の連帯感が強まり、コース管理の技術も高まったように思います。

クラブチャンピオンから見た北房カントリー倶楽部

保都 文利氏 ハンディキャップ委員長
1994年~2003年まで10年間連続クラブチャンピオン
 
保都さんは、備中高原北房カントリー倶楽部の自然を巧みに取り入れたコース設計・景観・戦略性を大変気に入られ、当倶楽部にご入会されました。近辺にはないコースで、四季によって違うおもむきが楽しめる。以上のような事から北房カントリー倶楽部にのめり込まれたとのことです。
 
保都さんは仕事とゴルフを両立し、日曜日にしかゴルフはしないと決められており、ゴルフの日は2時間前にコースへ入り、グリーンの状態をしっかり確かめ、終わってからも、パターを転がす。本当にゴルフと共に人生を謳歌されておられます。11連覇に挑戦の時に、10歳年下の選手に負けました。もう歳で眼も悪くなっていく、そして肩も廻らない、負けても仕方ないかと自分のゴルフに対して、後ろ向きになってしまいました。しかし、好きなゴルフだしゴルフのおかげで仕事が上手くいく。これで放り投げたらゴルフに対して申し訳がないと言う気になりました。そして、2年後のクラブ選手権は自分の気持ちが切れないように頑張り、再びチャンピオンに返り咲きました。団魂世代のゴルファーの鏡として、人徳も厚く益々これからも仕事に競技ゴルフに頑張っておられます。ジャパンシニア2回出場。